「!!」
エミルは大きく目を見開いてから、再び目を逸らした。
言葉が返せないのは、相手が王女だから否定できないのか、図星だから否定できないのか。いずれにしても、エミルの彼女への想いには、並々ならぬものがあるのは間違いなかった。
「ふーん。じゃあさ。こうしたらどうだ?」
次にリザレリスの執った行動は、エミルを驚愕させる。
「お、王女殿下、い、いったいなにを......」
エミルの狼狽は極限に達した。なぜなら彼の手が、王女の胸のふくらみに当てられたからだ。
「おまえ、わたしとヤリたいんじゃねーの?」
リザレリスの意地悪い魔女のような眼差しがエミルに突き刺さる。
「お、おやめください」
もはやエミルにはそれしか言うことができない。
「ヤリたいかヤリたくないか、どっちだよ」
「お、おやめください」
「どうせ男はヤリたい生き物なんだ。前世の俺がそうだったしな」
「えっ?」
「で、どっちなんだ?」
リザレリスはしつこく迫る。かといって拘っているわけでもなかった。ただ何となくヤケになっているだけだった。
「......」
エミルは口を結んでしまう。彼の胸には、言いようのない悲しみが広がっていた。
「じゃあわたしと結婚するか?」
「!?」
ふたりの間に一瞬の沈黙が落ちる。エミルは目を見開いたまま固まり、リザレリスは目を座らせる。
「だからわたしと結婚するかってきいてんの」
王女の発言の意図がわからないエミルには答えようがなかった。
そんなエミルの、ひと揉みもしてこない誠実な手を、リザレリスは手荒くバッと振り払った。
エミルが改めてリザレリスの顔を見上げる。リザレリスは不貞腐れたように、ぷいっと顔を背けた。
「どこぞの知らねえ野郎と結婚するぐらいなら、おまえのほうがいいかなって思っただけだよ。少なくともおまえは女みたいに綺麗だし安全そうだから」
言い訳がましく言いながら、にわかにリザレリスは自己嫌悪の念を抱く。目の前の男が前世の自分とはかけ離れているから。可愛い女から迫られても紳士的な態度を崩さない男など、前世の自分にはありえなかった。
「お、王女殿下......」
エミルにはリザレリスの胸の内はわからない。だがそれでも、ひとつだけ確実に、彼にはわかっていることがある。
「......王女殿下は、どうされたいのでしょうか」
「どうされたい?」
「先ほど王女殿下は、わたしはどうすればいいのか、とおっしゃいました」
「ああ、そうだな」
「もし王女殿下が、ここから逃げたいと本気でお望みならば......」
エミルは王女に向かい跪き直すと、騎士が主君に対して行う誓いのように言った。
「この命を懸けて、リザレリス王女殿下の願いを叶えさせていただきます」
「は?」
リザレリスにとってはあまりに仰々しく、芝居じみてさえ聞こえた。しかしエミルの瞳の奥に射すのは、一点の曇りもない純真な光だった。
決して月明かりに照らされたからじゃない。その光はエミルの心の恒星から放たれ、夜空に瞬く星々よりも輝いて見えた。
「な、なんでそこまで、わたしに尽くせるんだよ......」
理解できないリザレリスは、よろよろとたじろいでしまう。
エミルは軽く吐息をついてから、感慨深く言った。「私は、王女殿下を支えに、ここまで生きて参りました」
「......わたしを支えに?でもわたしと話すのって今日が初めてだろ?わたしは五百年間眠ってたんだから」
「私は生け贄の立場でありながら、眠れる王女殿下の警護も務めて参りました。もちろんそれは理由があってのことですが......」
「だから起きた時にすぐおまえが目に入ったのか」
「はい。いえ、申し訳ございません。実はそれは......」
「?」
「本当は、いくら警護を任されていたとはいえ、王女殿下の寝顔を覗くなど、本来であれば私のような者に許されることではありません」
「じゃあこっそりやってたのか?」
「私は......あのように王女殿下の美しい寝顔を見て、心が癒されていたのです」
そして、生贄の美少年エミルは語り始めた......。
「リザさま。おはようございます」起きるなり若くて美しい侍女がやさしく声をかけてきた。「おはよう。マデリーン」リザレリスが応えると、マデリーンは満面の笑みを浮かべた。「本日も朝からリザさまはとってもお可愛くていらっしゃいます」「マデリーンのほうこそ朝から美人だな」元遊び人らしくリザレリスも調子良く返した。するとマデリーンの顔がトロけるようにほころぶ。「そ、そんな、リザさまからそのようなお言葉をいただけるなんて」気をよくしたリザレリスは、マデリーンの頬にそっと手を触れる。「こんな綺麗な侍女がいてくれて、俺...わたしは幸せだぜ」「はあ!」マデリーンは膝から崩れ落ちた。「まったく朝から何をやっているんですか」後ろからルイーズが呆れながらやってきた。
【25】夜、皆が帰っていった後。リザレリスが自室に戻っていってから、居間でエミルはルイーズに訊ねた。言うまでもなくマデリーンについてのことだ。確かに彼女は、まるで人が変わったようにリザレリスへ従順になった。しかし彼女がリザレリスを傷つけたことは事実。それなのに侍女として彼女を迎え入れたのはどういうことなのか。「もちろん無条件に受け入れたのではありません。マデリーン・ラッチェンは、私の課した試験に合格したので採用しました」これがルイーズの回答だった。そして彼女はこうも付け加えた。「マデリーン・ラッチェンは、何もかも正直に話してくれましたよ。その上で彼女はリザレリス王女殿下の侍女になりたいと申しました。そんな彼女に対し、私は通常よりも遥かに厳しく試験と審査を行いました。しかし彼女は合格しました。ハッキリ言いましょう。彼女は優秀です。今後、彼女は必ず役立ってくれると私は判断しました」その説明は、エミルを納得させるに余りあるものだった。ルイーズという人間のことをエミルはよく知っている。彼女の課す試験と審査というものが、どれだけ厳しいのかを知っていた。エミルにとって彼女は、真の信頼に足る人物だった。彼は彼女を尊敬もしていた。「ルイーズさんがそう言うなら、そういうことなのでしょう」エミルが納得して見せると、ルイーズは口元を緩めた。
こうしてすっかり楽しい雰囲気となった彼らへ、サプライズが起こったのは夕食の時だった。食卓に着いた彼らのもとへ、ルイーズの指示に従い侍女が料理を運んでくる。最初は誰も気にしなかったが、ふと皆の視線が彼女に貼りついて固まった。ルイーズが満を持してといった具合に、咳払いをひとつする。「彼女は、本日から新しく侍女として入って参りました。マデリーン・ラッチェンです」侍女姿となったマデリーンは、リザレリスたちに顔を向け、挨拶する。「改めまして、本日よりリザレリス王女殿下の侍女としてこちらに勤めさせていただきます、マデリーン・ラッチェンです。どうぞよろしくお願いいたします」部屋に沈黙が訪れる。誰にも理解が追いつかない。皆が口を半開きにする中、フェリックスが吹き出した。「これは参ったな。さすがに僕にも予想外だったよ」笑い声を上げるフェリックスに、マデリーンが体を向ける。「フェリックス様の温情ある措置があったからこそ、今の私があります。本当にありがとうございました」彼女の謝意に対しフェリックスが会釈した時、ようやくリザレリスたちも一斉に声を上げた。「えええー!?」
放課後、肩を落として校舎から出てくるリザリレスを待っていたのは、レイナードとフェリックスだった。このタイミングでこのふたりが待っていたということは、理由はひとつだろう。「リザも聞いていると思うけど」とフェリックスは前置きして、リザレリスの反応を窺ってきた。リザリレスは無言で頷く。それを確認すると、彼は申し訳なさそうな顔を浮かべた。「彼女が自分自身で決めたことだから、これ以上は僕にもどうにもできない」そんなフェリックスに、レイナードは言う。「いや、兄貴は最大限のことをやってくれた。俺なんか最初からなんもできてねえ」レイナードは悔しさに唇を噛んだ。空気が重くなっている彼らを、周囲の生徒たちは不思議そうに眺めていた。いったい王子ふたりが一年生と何を話しているんだろう、という目で。マズイと思ったエミルとクララが視線を交わし合う。「早く参りましょう!」エミルとクララに促され、リザレリスたちは歩き出した。一行が乗り込んだ馬車がリザリレスの屋敷に到着すると、クララが遠慮がちに口をひらく。「ほ、本当に、私までよろしいんですか?」「当たり前じゃん。こんな日だからこそ今日はみんなで楽しみたいんだよ。クララもいてくんなきゃ困る」
人気のない校舎の裏庭までやって来ると、マデリーンが立ち止まり、こちらへ振り向いた。彼女は周囲を見まわしてから、クララへ顔を向ける。「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」自分への謝罪にびっくりしたクララは、慌てて手を横に振った。「わ、私は、むしろ加害者側で」「違う。貴女も私の被害者よ。それに貴女がいなければ本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれない」「そ、そんな、私は」「ごめんなさい。そして、ブラッドヘルム王女様を救ってくれてありがとう」「わ、私は、できることをやっただけです」クララは複雑な胸中で恐縮するが、マデリーンの様子には安堵していた。それからマデリーンは、改まってリザリレスの方へ向く。「ブラッドヘルムさん。いえ、リザレリス王女殿下」「は、はい」やけに畏まった様子にリザリレスはやや戸惑うが、このあとさらに困惑させられる。マデリーンが跪いてきたのだ。「この度は、多大なご迷惑を
【24】シルヴィアンナと取り巻きは、教室で呆気に取られていた。あの日の翌日以降、リザリレスが何も気にしていないからだ。怒るでもなければ怖がるでもなし。文句すら言ってこない。ただ何事もなかったように、教室でも外でも普通に明るく楽しく過ごしている。「どういうことなんでしょう......」取り巻きが言うと、シルヴィアンナはふんと鼻を鳴らす。「それよりもラッチェン先輩の停学処分が気になるわ。あの人、いったい何をやったの?」「さあ。あのあと私たちはそのまま帰ってしまいましたから......」「そういう約束だったからそれは仕方ないわ。ただ、あの人の停学処分の理由がわからないと、何となくわたくしたちも大人しくせざるをえないじゃない」マデリーン・ラッチェン停学については、一年生の間でも噂が広がっていた。何せマデリーンは第二王子の恋人だった女。その彼女が停学処分となったのだから、何かと勘ぐられ、囁かれてしまうのは仕方がないことだろう。ただし噂はどれも憶測レベルで、信憑性に欠けるものだった。 「し、シルヴィア様の、おっしゃるとおりです」おずおずと取り巻きは答えた。そうとしか答えようがなかった。シルヴィアンナは苛立ちを滲ませる。